
三重県は熊野市にて、今年で5回目となるサイクルデイin熊野が2日間に渡り開催され、今回もキナンサイクリングチームの選手をゲスト講師として招待して頂いた。
昨年は天気に恵まれずに、残念ながら室内でのイベントとなってしまった。
が、今年は天気予報通りの好天気に恵まれて、無事に開催。

晴れてはいるものの、朝から冷え込んだ初日。
しかし、朝早くから多くの参加者にお越しいただいた。


午前中には走行感覚・技術を身につけてもらうための、実走講習会を実施した。
自転車を安全に操る感覚を、ゲームも交えながら、スキルアップを感じてもらう。


「やべぇ、オレできるかな...」と不安になりつつも、講師としてお手本になるように気合を入れた。
心なしか、雄大からの当たりが強い気がする...

一応は選手としての体面を保てた、と願う。

メイン会場となる”三重県立熊野少年自然の家”の食堂にて昼食をとり、午後からは各講座に分かれての研修会。

自分、中島さん、加藤GMの3人は、ロードレースに関する座学の講師を務めた。
他には、和光ケミカル(WAKO'S)様の「メンテナンス講座」、クレーマージャパン様の「スポーツ栄養講座」、ポディウム様の「マッサージオイル講座」、キナン選手による「ポジションチェック」なども。

参加者の方々からは積極的に質問を頂き、全員でテーマを共有しながら、皆さんのサイクルライフに少しでもお役に立てるような自分の経験や改善策などをお伝えした。
中には鋭い質問が飛んできてドキドキ・ハラハラしつつ、なんとか着地点を探す...
中島さんの司会術はもはやタレント、司会業の域に達している、と言っても過言ではない。

夕食も熊野少年自然の家の食堂での懇親会を開いて、参加者と選手のコミュニケーションを楽しんだ。

初日は、午前中は落車などもなく、午後も各講習において楽しんで頂けたようで、まだまだの部分を感じつつも、無事に成功した?と思う。


2日目も快晴の下、暖かい朝でのスタートとなった。


ファンライドイベントということで、ゆっくり走りながら楽しみたい。
77km、50km、20kmのコースに分かれ、自分、中島さん、健児の3人で、77kmの伴走を担当した。

熊野灘を眺めながら、アップダウンを越えてゆく...
このアップダウン、なかなかに激しい。
77kmコースでは途中で2つの峠越えもあり、飽きのこない、なかなか踏み応えのあるコースであった。

途中ではエイドステーションも設置。


無事にゴールまで戻って来れば、名物のめはり寿司、カマスの干物、うどんが振舞われていて、脚もお腹も大満足なイベントであった。

大きな事故や怪我もなく、ボランティアの方々のお助けもあり、2日目も無事に終了。
来年も開催を予定しているとのことなので、ぜひ奮ってご参加を。
会場を後にして、そのままチーム合宿のためにキナン研修センターへ。
今回もまた帰ってくることのできた(株)キナンのお膝元、新宮市を中心にいろいろ周ってみた。
まずは前々回でゆっくり見て回れなかった熊野三山のひとつ、”熊野速玉大社”。
ここで改めて、今日でいう”熊野詣で”とは何か、ごくごく簡単に、かなり端折って、1%以下に圧縮してから、重点を一言にまとめると...
”「熊野権現(熊野三山〈熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、の総称〉のそれぞれの主祭神である熊野三所権現〈家都美御子大神《阿弥陀如来》:本宮大社、熊野速玉大神《薬師如来》+熊野夫須美大神:速玉大社、熊野夫須美大神《千手観音》:那智大社〉、もしくは他の祭神を含めた熊野十二権現〈熊野三所権現+五所王子+四所明神の十二柱、熊野十三権現もあり〉の神々の総称)」を祀っている「熊野三山」へ参詣すること”である。
日本書紀にも記述があるほど古くから自然信仰が行われ、都からも遥か遠く険しい位置していたことから、死者の国として見られていた熊野地域。
本宮大社では太陽や川、速玉大社では木や岩(神倉神社)、那智大社では滝など...御神体とされる対象が自然の物であることが多い。
手力男神社と八咫烏神社。
熊野権現の象徴である、「梛(ナギ)」の御神木。
平重盛の手植えと伝えられ、樹齢は1000年を超えているらしい。
その葉は魔除け・厄除けとして、重宝されてきた。
葉の丈夫さから、縁結びや夫婦円満のお守りとしても使われてきたらしい。
御神木の梛の向かいには、熊野神宝館。
足利義満などが奉納したとされる、国宝など多数が展示されている。
拝殿。

御朱印もやっと戴けた。


速玉大社では、神倉神社の御朱印も戴ける。
続いては、速玉大社を熊野川沿いに下流へ下った所に位置する、”阿須賀神社”。
2016年に世界遺産へ新たに追加登録された。
ここは言わば、熊野信仰の大元の地と言えるらしい。
神倉神社のゴトビキ岩へ降り立った熊野権現たちは、この地へとやってきたそうな。
なので、現在では速玉大社の摂社とされるが、歴史は熊野三山よりも古く、熊野の起源とされている場所なのだ。
祭神は事解男命と、熊野三所権現の三神。
本殿の裏手の蓬莱山(飛鳥山)は、やはり御神体。

古来より、立ち入れぬ神聖な領域として、深い信仰の対象とされている。
今度は熊野川を少し遡上して、桑ノ木の滝へ。
熊野地域にある那智滝、布引の滝と並ぶ、新宮市に位置する”日本の滝百選”のひとつである滝だ。
県道230号沿いに「相賀」というバス停があり、その真向かいにひっそりと案内板が立っている。
墓地の裏を通り、沢を登って行く。
途中に相賀八幡神社という神社がある。
そこから、さらに沢沿いに登って滝を目指す。
諸賢にも橋が流されて困った、という方はいらっしゃらないだろうか。
そんな時には、高所作業車を得意とする(株)キナンまでご用命を。
気を取り直して新宮中心地まで戻り、新宮駅のすぐ目の前にある、徐福公園へ。
徐福。
中国は秦の時代、始皇帝の命により「不老不死の薬」を求めて、数千人を引き連れてこの地へと海を渡ってきたそうな。
先ほどの阿須賀神社の蓬莱山麓に住み着き、大陸文化・技術を残していった。
公園の中心に、徐福氏の墓がある。
園内の売店にはレンタルサイクルもあるので、新宮へ来た際には、ここから自転車で新宮を周るのも良いと思う。
ここで一旦、新宮市のお隣の那智勝浦町へ。
熊野古道ヒルクライムと同じルートを遡り、大門坂駐車場に車を停めて、目指すは熊野那智大社。
険しい山中の参詣道の支えとなる杖が、随所に置かれている。
トレーニングも兼ねて来たので、今回は使わない。
大門坂。
熊野古道、中辺路の一部。
ここから約1kmは古くからの熊野古道の形を残していて、保全されている。
しばらく住宅の間を歩くと、夫婦杉と言われる杉の巨木が立ちそびえている。
葉の先には、目と鼻がかゆくなるような光景がチラチラしている。
ここから本格的な参詣道が始まる。
太古からの石畳の杉並木を、ひたすら登ってゆく。
なかなかのパヴェ具合である。
頂上の参道へ辿り着いたと思いきや、さらに登らされるらしい。
なんともまぁ、一段ずつ登るには窮屈だし、一段飛ばしで登るには間延びしている階段が続いて、何気に一番の難所かもしれない...
参道沿いには茶屋や、名物の”那智黒石”の土産物など、様々な店が所狭しと建ち並んでいる。
ここまで来たら、あと少し。
眼下には、那智原始林と熊野灘が広がる。
一の鳥居、二の鳥居。
かつては修験場の霊場として開かれたらしいが、熊野三山のひとつである。
頂上にはどんな社が待っているのであろうか...
とんてんかん♪キンコンカン🎶......
こちらも平重盛の手植えとされる御神木の、大クス。
さすがに、ちょっと窮屈そうにしている。

大事なのは目先に捉われない、感謝の気持ちである。
横には、熊野権現の使いである”八咫烏(やたがらす)”を祀る、御縣彦社(みあがたひこしゃ)。

サッカー日本代表のシンボルとしても有名。
すぐ隣には、那智山青岸渡寺が建っている。
登ってきた参道は、那智大社・青岸渡寺のどちらにも真っ直ぐ伸びている。
日本では、神道と様々な仏教宗派や宗教が混ざり合い(神仏習合)、時代背景とともにその性質と形を変えてきた。
そして神仏習合のもと、日本の神々は仏が姿を変えて現れた「権現」であるという考え(本地垂迹)により、熊野三山の神々は「熊野権現」として祀られるようになる。
なので、かつては神社と寺院というのは明確に区別されていたものではなく、同じひとつのものとして捉えられていた。
いろいろな見方や解釈などがあるようだが、古くからこの”熊野地域”は日本人の思想や感性、精神の中心地であり続けているのだ。
区別されていなかったとはいえ、神社にはない寺院の雰囲気も好きである。

御朱印は御詠歌も戴ける。
明治期、天皇を中心とする国家体制を狙った「神道国教化」の運動が進められる。
さらに明治政府によって発布された”神仏分離令”により、「神道」と「仏教」に区別され、熊野地域のみならず全国でも、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の動きにより大半の寺院が破壊された。
青岸渡寺は数少ない、壊されずに残された寺院。
すぐ裏手には那智大黒天を祀る、如法堂。
落ち着いた雰囲気の中、大黒天の笑顔に癒される。
青岸渡寺を那智滝方面へ向かうと、その途中で三重塔にお目にかかれる。
那智といえば、この三重塔と那智滝ではなかろうか。
そのまま下へ降りて行けば、那智滝を御神体とする、飛瀧神社にたどり着く。
鳥居からさらに降りると、ついに那智滝の全貌が見える。

御神体の那智滝に直接拝む。二礼二拍一礼。
日本三名瀑のひとつであり、その落差は日本一。
那智といえば、黒いのど飴が有名であるが、そのソフトクリームがあった。
那智滝を眺めながら食らう。
見た目から想像するようなしつこさはなく、むしろのど飴のようにサッパリして、ちょっとモチモチした食感がある。食後のデザートに最高ではなかろうか。
気温が10度に届かないこの日では、五臓六腑に染みわたった...
車まで戻り、大門坂駐車場からすぐ、キナンサイクリングチームのジャージにも名を連ねている、「かまセン」に立ち寄る。
選びきれぬほどの練り物や土産などの品揃えがある。
2階には温泉・レストランもあり、山を歩いた疲れを癒し、腹を満たせば、思い残すことなく帰路へ就けるだろう。
災害の多発する地域。
キナンの重機が活躍している。

そのまま県道43号を下っていくと、補陀落山寺(ふだらくせんじ)へと至る。
ここ、補陀落山寺では”補陀落渡海”が行われていた。
かつてこの地では、観音菩薩が降り立つ補陀落と呼ばれる場所が、遥か南方に位置していると考えられていた。
そこで行者たちは、30日分の食料と脂のみを積み込んだ小舟に閉じこもり、海を渡って補陀落を目指す、それが”補陀落渡海”である。
いわば、捨身行。
舟に乗り込むと外から蓋をされて、あとは海流に乗って補陀落を目指したという...
境内にある石碑には、補陀落渡海を行った歴代の行者の名前が記されている。
現在では海水浴場となっている那智の浜から、行者たちは補陀落への往生を信じて、決して帰って来ることのない船旅に出たのであろう。
そしてすぐ隣、というか同じ土地の中に熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)が軒を連ね、神仏習合の名残が色濃く残る貴重な場所である。
熊野三所権現の三神を主祭神としている。
浜ノ宮王子跡でもあり、住宅地の中に那智の浜と同じ砂が広がる。
正直なところ、電車や高速バスも通った現代においても、足を伸ばしにくい奥地であることは否めない。
車で来てもらうとよく分かるのだが、勢和多気JCTから紀勢自動車道へ入ると、ビル群のようにそびえ立つ険しい山々を、ひたすら突っ切る道路になる。
時々陽に輝く熊野灘がわずかに見えるばかりで、果たしてどこまで山奥まで入るのであろうかと不安になる道程である。
険しすぎる山々によって、悠久の歴史の中でもなかなか交通網が発達せず、ほんの少し前まではこの紀勢自動車道も通って(さぞ、キナンの建機が活躍したに違いない)いなかった。
先輩たちの話によれば、ツールド熊野へ行くには、下道での峠越えとリアス式海岸沿いをひたすら走らなければならなかったそうだ。
自転車の練習をするには、むしろ好都合ではある。
だが、その険しさ故に、熊野地域の神秘性が失われず、熊野信仰が現代人の心にも未だに息づいているのではなかろうか。
新宮駅のすぐ目の前には、新宮市観光案内所がある。
ここにもレンタルサイクルあり。
だが新宮に来るたびに、なんだか「ホッ」する空気に包まれるのは気のせいだろうか。
街全体の時間がゆっくり流れているような気になってしまう。
そして、気がつけば世界遺産、振り向けば世界遺産、すぐそこに世界遺産、あちこちに世界遺産。
世界遺産への登録や、キナンサイクリングチーム主催のイベントが、熊野地域の再発見のキッカケに繋がってほしいと願う。
来るたびに新しい発見のある、熊野地域。
ちょっと、足を伸ばしてみてはいかがだろうか。
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